モドル イッコモドル



<怒涛の観光>



2005年2月4日。
ぴゃんきっしゅと相棒ウサギはインド到着二日目にして、すでに西インド・ラージャスタン州にあるジャイプルへ向かっていた。
何故、そんなことになったのかは前項 「デリー到着!インド騙しの洗礼」 にて説明してあります。

怪しい旅行会社で 「インドの観光ゴールデントライアングル・ミニバスツアー」 なるものを組まれ、
その場で 「さあ、行って来い!」 と言われて外に出た。
「ミニバスツアー」 とかいうから、なんか小さいバスとか、前にもタイであったがバンに何人もの外国人を詰め込んでキッツイ思いをするのかなーと思ったら
目の前にあったのは、日本で言うマーチみたいなちと小さめの小奇麗な乗用車一台。
え?
「ドライバーはこの男だ。グッドマンだから安心して行って来いや〜」
気難しそうな身なりのいい50くらいのインド人のおっさんを紹介される。荷物を後ろに乗っけて、後部座席のドアを開けられ、「さあ、乗れ」と言われるままに乗り込む。
え?え?
ドライバーも乗り込んできて、いざ出発。
え?え?え?
・・・・・・・・・・・・・うーん。コレは・・・・・・・・・貸切っすか・・・・・・・・?そ、そう・・・・・・・。いや、いいんだけどさ。なんか、楽すぎて不安になるんですけど。こんな豪遊していいんすかね・・・?
キレイな乗用車を私達だけで貸切。これから4日間の宿泊込み。朝食つき。聖地ヴァラナシへの夜行列車の切符付。しかも、運転手は寡黙で安全運転。
そりゃ、それくらいの値段は払ったけども・・・・・。インドでこんな楽な思いしていいのか・・・?
今までの旅では、いつもぎゅうぎゅうに人の詰まった列車やバスで移動。運が悪ければ、毛布をかぶって朝まで駅で震えて過ごす、とかそういう貧乏旅ココに極まれり、という感じだったのだが。
ウサギが一応、気を使って運転手さんに話しかけてみた。
「My name is Usagi. Her name is Pyan-kish.Your name?」
「Shin.」
「・・・・・・・・・・・」
「・・・・・・・・・・・」
「・・・・・・・・・・・」
寡黙だ・・・・・・・・。インド人と言ったら、だいたいの人が陽気でお喋り好き。ウザイくらいに話しかけてくるもの、と思っていた。
ウサギとぴゃんきっしゅは顔を見合わせて、「こういう人なんだな。ドライバーという仕事に徹して、余計なことは言わないんだ。まあ、楽でいいでしょ」 と確認しあう。
英語も出来ないような、見かけ小娘みたいなアホウの日本人となんか話したくもないのだろう。めんどくさいしな。それならそれで、こっちも気を使わなくてすむのでいい。
でも、一応デリーを抜ける交通渋滞に嵌りながらも、たまにボソッと英語で 「ココは****というトコロだ」 と説明する。悪い人ではないようだ。
途中、ガソリン入れたり高速道路代を払うときにも、約束どおりに私達には金を出せとも言わない。
私達は、最初のツアー代金を払えば後は一切金を出さなくていいという約束をつけていたのだ。昼飯、夕飯、各地での入館料などだけ自分達で払う。
なんか・・・・・・・・・当たり前みたいなんだけども・・・・・・・このインドでは油断大敵。気を抜いてはイケナイ。

高速道路を走っているのだが、普通の道となんら変わることなし。民家もあるし、人々が普通に歩いている。


高速道路で駱駝のひくリヤカーが普通に何台もポクポク歩いてる。西インド・ラージャスタンは砂漠の地。


田舎の風景だねぇ。黄色い花がたくさん咲いていてキレイだったんだが、写ってないね・・・。ドライバーのシンおじさんに聞いたら 「マスタードの花だ」 と言っていた。


シンおじさんが、州境で何か手続きをしているときにアクセサリーの物売りが来たのでアンクレットを購入。足をさらす気にはなれないので、腕につけてみました。


車で長距離移動してたので、何度も見かけたボロボロのドライブインに寄りたかったのだが、ドライバーのシンおじさんは高級ホテルのカフェに寄ってくれた。
私達なんか、そのへんのチャイ屋で充分なんだが・・・。まぁ一応大金払っている外国人だからなんだろね。
チャイがポットで出てきて一人20ルピー。・・・・いや・・・高いんだが・・・・・。街のカフェだったら、外国人プライスでもチャイポットは二人で10ルピーなんだが・・・・。
シンおじさんも、私達が 「何か飲む?」 と聞いても首を振る。エ、エライ・・・・。
「今日はこれからどうするのか?」 としか聞かない。
「キレイな夕日が見たい」 と曖昧なコトを言う私達。ガイドブックで調べて、今向かっているジャイプルという街の郊外の丘で見れるらしいのだ。
いつもの二人だけで移動する貧乏旅では出来ないことをしよう。
運転手付なのだから、どんな郊外でも行けるし、暗くなってしまっても大丈夫だ。バスの時間とかを気にする必要もない。
最初はなんとなく何か落とし穴があるんじゃないか、とビクビクしていたが、なーんか楽しくなってきたにゃー。自由自在な旅じゃーん。

そして、デリーを出発してから5時間半程。
山の上に城砦が見えた。
お?お?キタ?キタ?
「アンベール城」 とシンおじさんがボソっと言う。
おおおおおおおお。コレが有名なジャイプル郊外にあるマハラジャの城、アンベールフォートですかぁぁあ!!
「おっちゃん!どっかで止めて!見たい見たい!」
急にテンション上がるぴゃんとウサギ。
「ちょっと待て」
と言って、しばらく車を走らせ、ちっさい雑貨屋兼チャイ屋のある絶好のポイントで止まってくれた。


皇居のようにお堀に囲まれたアンベール城を裏から見る。
「きゃぁぁぁああああ!!!キレイ!!!すっごーい!!!」 とはしゃぎまくりの二人に、シンおじさんも初めて笑っていた。どうだ、スゴイだろ?という感じに。


山の上に延々と続く砦。夕暮れに照らされて赤く見える。ほえー。スッゲー。

なんか、観光にキター!という感じだなぁ。ああ、異国にいるのだなぁと実感。
そこのチャイ屋でチャイ飲みながら、ゆっくり眺める。少しだけ、私達に慣れてきたシンおじさんも一緒にチャイを飲んでくれた。
ココは普通にチャイ一杯3ルピー。
心ゆくまで夕暮れの裏アンベール城を眺めてから、再び出発。
大きいピンクオレンジの門を抜けてジャイプル市内に入る。
すると大きい湖があって、またまたぴゃんとウサギは大騒ぎ。「おっちゃん、どっかで止めて!」


湖に浮かぶ別荘のような城。ガイドブックに載っていないので、なんだかわからないのだが、とにかくキレイだ。
英語が出来ないので、シンおじさんに聞いてもムダなので敢えて聞かない。聞いたとしても忘れてしまうだろう。ただ見てキレイならそれでいいではないか。
何世紀も昔の王様がどんな理由でどのくらい時間と金を使ってコレを建てました、なんて退屈な話は聞きたくないよ。
この風景が目の前に実際にある。それでいいんだ。

絵葉書売りが寄ってきたので、セットで買うことにした。
12枚セットで古い写真のくせに、100ルピーとかふざけたコトぬかすので、じゃぁいらん!と歩き出すと 「ちょっと待て!!」 と必ず追いかけてくる。
交渉の結果、20ルピーで買った。
ヲイヲイ・・・値切っておいてなんだが、下げすぎだろ。一体、原価はいくらなんだよ。

この湖の真ん前のキレイでかわいいリゾートホテルに泊まる。
・・・・・・・うーん・・・・・何度も言いますが、それだけの金を払っているとはいえ、私達にしてみたら贅沢すぎてコワイんですが。

次の日。
怒涛のジャイプル観光!



《アンベール城》

  

  

  

  



《ジャイプル・ジャンタルマンタル(天文台)》

  

 天国への階段みたいね。頂上の窓にぴったり北極星が嵌る天文台。



《ジャイプルはピンクオレンジの街》

  



《ジャイプル・風の宮殿》


マハラジャの後宮の女達が住んでいた城。保存状態は悪く、ガラスなども割れまくり。
そして・・・・・・・↓


薄!!! 街のど真ん中の狭い歩道にあるし。札幌の時計台を思い出したわ。
風の宮殿・・・・そらこんなに薄かったら風も通り過ぎるわな。


《ジャイプル・シティパレス》


シティパレスは外観のみ。何故かというと・・・。

ココで体力の無いぴゃんきっしゅが限界。
シティパレスを前にして、「ス、スマン・・・・もう限界ダ・・・・これ以上歩けません・・・・ホテルに戻って寝ていいすっか・・・・」 とヨレヨレで自己申告。
車で移動しているとはいえ、アンベール城の中も広く、上り下りも激しく、ジャイプル中心街に入ってからのジャンタルマンタル(天文台)もだだっ広い。
その後、二人で街歩きをして、食事したり買い物したりしていて、冬なのだが昼間の気温は日本の初夏くらいなのだ。
ちょー限界・・・と思っていたが、風の宮殿を無理に見に行って、もう倒れる寸前ダス・・・。
ボク、ひきこもりですからぁぁあ。体力も根性も無いっすからぁぁあ。

ウサギがシンおじさんに言う。 「She is very tired. Back to hotel, please.」
シンおじさんは、ココまできてシティパレスの中に入らない観光客など見たこと無いYO!という顔をしたが、私を見て納得したようだった。
実は私は、日本を出発する前から激烈に風邪をひいていて、まだ治りきっていないので、ずっとデカイマスクをしていたのである。
日差しにも弱く、サングラスもかけているので怪しいことこの上ない。
始終咳き込んでいるし、ぐったりで口も利けない私を見て、シンおじさんは黙ってホテルに戻ってくれた。

ホテルで私達を下ろして、シンおじさんが 「これからどうするか?」 と聞いてきた。
ウサギは私を見た。コヤツはどのくらいで体力回復するんだろう?と。
明日にはアグラに移動するのだ。意地でも動きたい。
「昨日行けなかった、ビューティフルサンセットの見れるガルタの丘に行きたい」 と、爪の先程の根性を掻き集めて言った。
「それじゃあ、ココから1時間くらいかかるから、2時間半後に迎えに来るが、それでいいか?」 と、シンおじさん。
OKッス! それまでに体力ゲージを充電しまッス!!

ホテルの部屋に戻って、不眠症の私なのにすぐに眠った。
その間、ウサギが何をしていたのかは不明。ウサギが旅記録を書いたら、全然違うモノになるんだろうなぁ。

そして、約束の時間にガルタの丘に出発。
ガイドブックにも載っているとはいえ、マイナーな場所なのでシンおじさんも行ったことが無いらしく、地元の人に道を聞いていた。
30分程で着いた。
ん?1時間かかるって言わなかったか?
その理由は後でわかった。ガルタの丘ではない。山だYO!マウンテンだYO!登るのかYO!しかも半端な登りじゃないYO!



《ガルタの丘で夕空を見る》


山の入り口に寺があった。普通、お寺は撮影禁止なのだが、例によって金さえ払えば撮ってもイイという制度。
別にそんなに写真が撮りたかったわけでもないのだが、なかなか寺は撮れないので払っとく。

  
さびれてるなぁ・・・・


か、かわゆい・・・・・



山の入り口にあるお寺で足止め食らっている場合ではなかった。
この後、階段を登ってひたすら頂上を目指すことになる。途中から階段もなくなり、行けども行けども頂上が近くに迫ってこない心臓破りの坂!てか、山道!!
これでは、サンセットに間に合わない!急げ!急げ!
元から体力の無いぴゃんきっしゅ。一日歩き回って観光していた疲れも取れてない。ミギャー!! 死にまするぅ!!
だが、朝日と夕日に異常な執着を示すぴゃんきっしゅ。
かなりな無言状態で必死に頂上を目指す。
ウサギも、特に体力を誇る女子ではないので、二人してぜぇぜぇになっている。
しかし!ビューチフルサンセットがボクらを呼んでるゼ!




ま、間に合った・・・! 後1分遅ければ、サンセットタイムは終わっていたであろう。
車で郊外の丘に行って、駐車場から夕暮れを眺めて 「ほえーキレイですなぁ」 とかなんとか言って帰ってくるものと思っていたが
やはり、そんなに甘くはなかった。
この国では何事も苦労しないと、いい目は見れないのであった。もしくは大金を払うか、ね。
お金で買えない価値がある。マスターカード。みたいな感じですわ。
大汗かいてぜぇぜぇ言った甲斐がある夕空でございました。
心ゆくまで頂上のお寺から空を眺めて、真っ暗にならないうちにと山を降りた。
しかし、やはり真っ暗になった。こわ。



山の入り口の寺では夜のお祈りタイム。谷間に響くヒンディーの宗教楽器と祈りの歌。
精神を持っていかれて、しばらく時間を忘れて聞き入っていたが、ふと気づくと、帰りの遅い私達を心配してか、出口でシンおじさんが静かに佇んで待っていた。
さあ、帰ろう。
二度とココに来ることはないだろうけれど。
祈りの歌の響きを忘れないよ。



次の日。
ジャイプルを離れて一路アグラへ。
300キロくらい離れていて、しかも道が悪いので60キロくらいしかスピードは出せない。
すでにシンおじさんを信用しきっていたので、私は移動中ずっと眠っていた。
インドで人の運転する車の中で眠っちゃうとかあり得ないから。無防備にも程がある。でも、シンおじさんは大丈夫。
バカだなぁ、とか思いつつも 「着いたぞ」 とか言って起こしてくれるのだろう。そんな気がした。

アグラに着くちょっと前に、「ファティープル・スィックリー」 という絶対覚えられない名前の世界遺産があって、
シンおじさんが 「行くか?」 というので 「んじゃ、行く」 と言った。
ドアホウな私達は観光地に興味がなかったので、そんなもんの存在すら知らなかった。
ガイドブックを見ると、なるほど載っている。しかし聞いたこともないよ。
なんでも、ハーレムの女達を使って人間チェスをしたという嫌な性格の王様の墓と城らしい。
着いてみると、一大観光地らしく大勢の人々が山盛りいて、客引きや物売りがえげつない程に盛りだくさんいる。
ひー。インドって感じぃ。
インド人が寄ってきて、英語でガイドするとしつこくまくしたててくる。
英語などわからんし、説明されるのはダイキライだ。うるせぇ、ダマレ。
「ノーガイド!」 一言で蹴散らす。
マスクをしたままサングラスをしていると気が大きくなって、小心者の私も強気になれる。
死体に群がる蠅のごとき、客引きと物売りの嵐の中、なんとかいう世界遺産を見る。
しかし、勝手にガイドを始めるヤツラの声がうるさくって何を見てるのかさえわからなくなってくる。

「うるさい!いらねぇって言ってんダロ!!! しゃーらっぷ!びーくわいえっと!びーさいれんす!」
「コレは大理石で出来ていて、すごい彫刻がされているんだ。見てよ」
エンドレス再来。
返事をするほうがバカなのだ。しかし、無視しても群がってくる。どっちが見世物なのかわからんわ。
しかも、私はマスクしててサングラスしてるので、さすがのインド人も不気味なのか、ウサギが集中砲火を浴びる。
子供の絵葉書売りも、ウサギに砂糖にひっつく蟻のごとき有様になっている。
ぴゃんきっしゅは氷のごとき無表情の無反応。
ウサギは子供の物売りと無邪気に遊んでいる。いや多分ものすごい困っていたとは思うのだが。遠くで見ながらぴゃんはマスクの下で笑いを噛み殺していたのだが。

つーわけで、この世界遺産は建物よりも群がる自称ガイドと物売りに囲まれた記憶しかない。
インドを旅行していると、この二者からは逃げられないものだが、ココは特にひどかった。ものすごかった。鬼気迫るものがあった。あー怖かった。あー面白かった。

《ファティープル・スィックリー》

 

  


この後、アグラ市内に入り、ホテルに落ち着く。
シンおじさんは 「今日はどうするか?」 と聞いてきたが、もう夕方だったし、車移動とインド人群がり攻撃で疲れてたので
「今日は疲れたので、明日観光する。また明日の朝ねー」 と言った。
シンおじさんはきっと 「この日本人女子二人の世話は楽だなぁ」 と思っていたことだろう。なんせ疲れやすいからね。
多分、白人観光客の場合は大変だろうな。パワフルでドケチで体力のアル肉食人種。アイツラと戦争して勝てるわけがないね、と見てるとつくづく思うな。
朝から晩まであっちこっちに観光して、食事も 「何とかのウマイところに連れて行け」 とか何の遠慮もなく言いそうだ。
しかも一日中喋ってそうだ。シンおじさんのこととかもプライヴェートなことまで根掘り葉掘り聞きそう。
社交辞令で人のこと何でも聞きたがる人種だからな。
偏見じゃないですよ?
観察してると、だいたいに置いてそういう人が多い、という意味ですよ?
白人の方はいろんな国の方がいるので、何処の国の人柄が、とか言いませんよ?
でもまあ、同じ人間とは思えないところがあるのは間違いないが。
ボクのほうが特殊だというのは、置いといて。



次の日。
インドが世界に誇る世界遺産。その名は 「タージ・マハル」 !!!



《タージ・マハル》


どーん!!! でか!!!! 人が誰もいないみたいに見えるくらい、でか!!!
めっさ人いますからぁぁああ!!!


真下から見上げる。 何度も言うが、でか!!! 見てるだけで首いってぇ!!!


更にあーっぷ!!! こんな模様ダー。インドの古い建物だというのに、他と違って保存状態めっさ良し。

  
周りの様子。
中は墓なので撮影禁止。土足禁止。本館入り口の下に下駄箱があって、親父に靴を渡すと番号を渡される。
帰りに金払って靴を受け取る。あのー。入場料はもう払ってるんですが。なんて思っても無駄。
白人の団体客は添乗員に靴カバーを渡されて靴の上に履いて歩いてた。
いや・・・靴くらい脱ごうよ・・・。人様のお墓デスヨ?
中は意外に狭くてごっちゃごちゃ人がいるのでゆっくり見る暇もなし。
大理石の墓をジーッと見てると、ガイドのインド人に「どけ」と言われて、自分の客にいい場所で説明しようとする。こっちだって金払って来てんだぉー。なんだぉー。ぷんぷん。


なんかね。
ウサギの名誉のために一応言っておくけども。
みんな、コレやってんのよ。ハタで見てて、何してんだろう?と思って、
そのお立ち台みたいのに立たせて同じポーズ取らせてみたら、こういうわけなのさ。
タージ・マハルを摘まんでるってわけなのね。
おまいら、アホやな〜とか思いつつも、やはり写真撮ってしまうアホウのぴゃんとウサギであった。

少々解説。
コレは金持ちのマハラジャが愛する妻のために建てた壮大な墓。
裏のヤムナー川を挟んで、対岸に黒い同じ建物を作って、そこを自分の墓にしようと思ったらしい。
だが、賢明な息子が 「この親父は頭がおかしい」 と思って、アグラ城に閉じ込める。
そっちにも行ったが、閉じ込められていたところからタージ・マハルがキレイに見える。息子の優しさなんでしょうかねぇ、と勝手に想像。

すんげー広くって大きくって、もー歩いた歩いた。
写真も鬼のように撮ったが、どれもこれも同じようなのばっかりなので割愛。
感想は 「とにかくデカイ。とにかく白い」 です。
一見の価値アリですよ。一見でイイが。

大観光地なだけあって、入場するのも大変。
入り口には警察がいて、男女別に入って身体検査をされる。カバンの持ち込み、携帯電話の持込は厳禁。理由は不明。
カバン持込不可なのは、知っていたのでシンおじさんの車に置いてきた。
必要なものだけ、ポケットに詰め込んでいったのだが、全部出して見せろと言われた。
カメラはノーチェックなのに、何故にそんなに執拗に携帯を持ってないか聞くのかなぁ?
誰か知ってる方がいたら教えてくださいまし。未だに謎。

そして入場料が高い。
なんと$5。ドル払いかYO!それにプラスADAチケットなるものが必要で、こっちはRs500。コラー!! なんだそら!?
ぴゃんとウサギの一日の食費と雑費が、一日二人でRs150以内だったんだぞ!! 国ぐるみでボリかYO!
ADAチケットというのは、インドの何かの学会への寄付だか研究費だってさ。何だか忘れたが。
コレは一回買えばアグラ近辺のほとんどに共通して使える。ただし、その日限り。一日で全部廻りきれると思ってんのかしら。

コレにはちょっと後日談もありまして、その後行ったヴァラナシで知り合ったインド人の方に聞いたら、金曜日だけ無料らしい。
えー!? 聞いてないYO! ・・・・ってまあ、聞いてたとしても、日にちを選べなかったわけだから。いいんだけどもね。
考えてみると、京都のお寺とかだって、入場料800円とか1000円とか平気で取るわけだからな。$5=¥525 Rs500=¥1250



《アグラ城》

  
うーん。いかにもやる気のない写真だな。
ココでも一応たくさん写真は撮ったのだが、何せあのタージ・マハルを見た後ではボロい城にしか見えない。
アグラ城は、さっきのタージ・マハルを作ったマハラジャが閉じ込められていたというところです。
私のデジカメでは、よくわからないけれどもタージ・マハル見えるっしょ?

しかし、朝一でタージ・マハルで圧倒されて、昼くらいからアグラ市内を少し見て、それからこのだだっ広いだけのアグラ城。
はっきり言って疲れました。
ホント、観光には向いてないんですよ。疲れちゃうし、飽きちゃうんですわ。
同じような城とか寺ばっかり見てると飽きませんか? ボクは飽きます。ウサギも飽きます。
結局、アグラ城では中庭の少ない日陰を見つけて昼寝してしまいました。ちゅかれたー。

そんで、16時半に外に出てシンおじさんとチャイを飲んだ。
「これからどうするんだ?」 とシンおじさん。
この日はシンおじさんとの最終日。この後は夜行列車に乗るために駅に行くだけ。しかし、夜行列車の時間は23時半。
ぴゃんとウサギでシンおじさんに英語で説明。
「ボク達、もう疲れちゃったから観光はもう終わりにする。だからシンおじさんは、これから私達を駅まで送ってくれればいい」
「・・・・・・・・電車の時間、わかってるのかい?」
「うん。駅のウェイティングルームで寝てるよ」
「・・・・・・・・近くに***という遺跡があるが見に行くか?」
「いや、いい。もう観光は飽きちゃった」
「・・・・・・・・・・・・・」
シンおじさんは呆れた顔で私達を見た。でも、この何日かで私達の、特にぴゃんきっしゅの体力の無さを見てるので、なんとなく納得したようだ。
シンおじさんは、やっと笑って本音を言った。
「俺はラッキーだ。早くデリーに帰れる」
あははははは!! やっぱり?そうだよねー。アグラからデリーまで約300キロ近くあるもんねー。23時まで付き合ってたら、シンおじさん帰るの夜明けになっちゃうよねー。
私達が根性無しの観光客で良かったね。
今回は楽だったでしょー。
シンおじさんとチャイ屋で初めて世間話をした。

コレでぴゃんきっしゅとウサギの「怒涛の観光」は終わります。
いやもう、こんなに短い期間に、こんなに観光というものをしたのは初めてだよ。二度とないね。でも面白かったー。予想以上に面白かったー。
安全快適インド旅。いやいや私達にとっては豪遊と言ってもいいくらい。

次テキスト。
駅で起こった戦慄の出来事。 「トイレババァの恐怖」 をお楽しみに〜。
コレは写真が一切ありません。テキストのみです。




モドル イッコモドル